名前:Makoto
職業:円覚寺の副住職
管理人プロフィール
小学生の頃、ファミコンと出会う
引用元:Wikipedia
当時はファミコンブーム。
ドラクエが発売されて
ツインビーとかゼビウスとかエグゼドエグゼスとかグーニーズとか友達の家で遊んでました。
ファミコンを買ってもらえなかったので、本体とカセットと友達から借りて、家で遊んでたのですが、「人のを壊したら困る」というので親に怒られるという悲しい思い出があります。
現在、うちの妻が友達のSwitch借りて壊したらダメという理由で借りさせないというループ現象が起こってます。
6年生の時、貯めたお金でMSX(MX-10)を買う19,800円也
引用元:http://bubrhythm.net/Retorhythm/mx10.html
やっぱりファミコンは買ってもらえなかった。
が、これからの時代はパソコンも使えないといけないという親の意見で、見た目がパソコンみたいなMSXなら買ってもいいということになった。(その当時はマイコンと言われていたが。)
雑誌の広告に出ていたMSXを、町内の電気屋さんで、自分のお金で購入。
文字キーがゴムで出来ていて、押すとグニグニした感触のキーボードだったが、。
カセット入れるところにホコリが入らないように付いてる蓋の蝶番が壊れて取れたりした。
何年か後に発売されたMSX2とかMSX-turboは29,800円とかだったから買えなかったね。
同年代の人には分かると思う。
最初に買ったゲームは「エッガーランドミステリー」
引用元:https://aucfree.com/items/l564641373
パズルアクションゲームなのだが、難しくてエンディングまでたどり着けず、いまだにクリアできていない。
MSXの三国志にはまる
当時のMSXのゲームのセーブは、カセットテープに「ピーーガガガ・・・」と録音するものでした。
専用のデータレコーダーは持ってなかったので、これまた自分で買ったダブルラジカセを使って録音していました。
MSX本体とラジカセを繋ぐ「カセットインターフェイス」は別売りで3,000円でした。
この頃BASICを覚える
「マイコンBASICマガジン」(通称ベーマガ)という月刊誌に、読者が投稿したMSX-BASICのプログラムコードが載ってて、それを打ち込んだり改造したりして遊んでいました。
延々と長いプログラムコードを入力して、最後に「RUN」と打つ瞬間の期待と不安。
この頃はフローチャート図での説明がよくされてました。
フローチャートって最近見ないと思ったら、小学校のプログラミングの授業で使ってるので、懐かしさがあふれて見ています。
能代高校入学でPC-98もらう
今考えると当時の値段ではすごい事と思いますが、高校入学の時に親が仕事で使っていたパソコンを貰いました。
PC9801UV21という機種。当時は5.25インチディスクが主流だった中、新しく出た3.5インチの機種です。
で、ゲームばっかりやってました。
当時、能代駅前の大通りの、(能代北高のグラウンド裏側)に古本屋があって、中古PCソフトとかも売ってましたね。たしか。
京都(の)大学に進学
略すと京都大学です。
具体的には種智院大学っていいますけど。
で、京都の寺町通りの電気屋街にJoshinがあって、ブラザーの「ソフトベンダーTAKERU」があったんですね。
ソーサリアンの追加シナリオとか買いました。
同じく、寺町にMacの専門店があって、値段が100万とか見て驚いた記憶が印象に残ってて、いまだにApple製品に興味が無いです。
だって、Macってマウスにボタンが1つしか無かったんですよ。
ガジェット的にもっとボタン多めの方が好きです。
パソコンは、お正月の清荒神のバイトのお金で、エプソンのPC-98互換機「PC-386」や「PC-486」のラップトップ型を買いました。たしか値段は15万くらいだったような記憶があります。
インターネットは無かったけれど
インターネットは、身近にはまだ無かったです。
パソコン通信とかPC-VANとかありましたが、コミュニケーションに興味なく黙々と一太郎とゲームとMS-DOSのプログラミングしてました。
後から買ったのですが、当時はWindowsNT3.1だったようです。
大学卒業から現在まで
大学卒業後、京都の醍醐寺境内にある「伝法学院」に5月に入学。翌年4月卒業。
4月入学3月卒業にしていないのは、4月に行われる秀吉が花見をした醍醐寺の「桜会」にタダ働き研修をさせる為かと憶測しています。
さて、ここでは1年間の寮生活で、新聞・ラジオ・テレビは遮断され、真言宗の僧侶になるための修行をします。
卒業すれば免許がもらえて、家に帰るか醍醐寺の職員になるかします。
卒業後はずっと深浦町で生活。
変わりはありません。
しかし、ネット回線はだいぶ変わって、テレホーダイから卒業してISDN、ADSL、フレッツ光になりました。
ネトゲ始め、Delphi始める
今は主流はスマホのゲームなんでしょうが、当時はPCのネットゲームでした。
某MMMO「リネージュ」のカノープスサーバーで活動していました。
その時に覚えたのがDelphiとOllyDbg。
Delphiとは非商用はフリーで使えるオブジェクト指向プログラム言語で、VBとかC++とかC#とかみたいなもの。
OllyDbgはフリーのデバッガです。
なぜ覚えたかというと、ゲーム中にHPを自動回復するツール「リネサポ」っていうツールがあって、Delphiで作られていたんです。
自分でもアイデアがあったので、真似して作ってみたくて自力で覚えていきました。
マップ中のキャラクターの位置を表示するツールとか、自動で回復してくれるペアを操作するツールとか、チャットの文章をテキスト保存していくツールとか、スプライトのコマ数計算するツールとか作りました。
このゲームは不便な所があって、チャットの記録が出来なくて、スクリーンショットで証拠を残す必要があったんですよね。
まあ、そのゲームも辞めてから10年以上経ちましたが。
現在はWordPressいじってるのでPHPとJavaScript
レンタルサーバーでWordPressを使って、雑記ブログを書いたり、特化ブログ書いたりしてます。
PC遍歴
MSX→PC-98→PC-386→PC-486→自作slot1のPentium2→自作PCいくつかとソーテックのノートPC、ASUS ZenBook→中古のHPCompaq8100とThinkPadE495(現在)
MSX-BASIC→MS-DOS→しばらく空いて→Windows 95→Windows 98→Windows 98SE→Windows 8→Windows 10
Apple製品はルートに入っていません。